荒子観音〜甚目寺観音ポタリング報告書

おじサイクル企画

          日 時 :2005/4/30(土)

          天 気 :夏を思わせるような日差し・快晴

          参加者:私G、HI氏

          目的地:名古屋都心部移動

【コース概要】
自宅〜蟹江〜R1〜南荒子〜荒子観音〜甚目寺観音〜サイクリングロード〜ポパイ立ち寄り
〜自宅 (走行距離:65km)

翌日日曜日が雨天予報の為、急きょ、行くことを決め、9時半出発。取り敢えず、南へ進行。
稲沢→蟹江へと進みR1へ出て、東へと向きを変え名古屋へと向かいますが、交通量の多さで、車道を走れず、歩行者に配慮しながら、段差を気にしながら歩道を進み、戸田川→新川→庄内川→荒子川を渡り、あおなみ線高架手前を左折して、一路、荒子観音へと向かいますが、その前にちょっと給油タイム!大塩1丁目の『ねぎぼーず』で昼食休憩です。この日は、初夏を通り越し夏の日差しで、慣れていない体には、ちょっとキツイ天気です。
その分、ツイツイいってしまいました。本来の楽しみと言えば、そうなのです!


  

↓お店おすすめの『円空焼き』

    

↓尾張四観音(笠寺・甚目寺・龍泉寺・荒子)の一つの荒子観音です。多宝塔・六角堂・本堂

    

人通りも少なく静かな構えでした、名物の『円空もなか』を、と思いましたが帰宅するまでに変形の可能性大でしたので、あきらめました。多宝塔は、名古屋最古の建物で、国の重要文化財となっている、との事です。
(参)尾張四観音は名古屋城を中心に、およそ10km以内の四方にあり、北西に甚目寺観音・北東に龍泉寺観音・南東に笠寺観音・南西に荒子観音の四つの観音様が、城下を守るように配置されています。

    

↓荒子城址。大河ドラマ『利家とまつ』で注目されるようになった前田利家生誕の地であり、1575年に前田氏一門が越前へ転封となり、それに伴って廃城されています。現在は薄暗い天神社(冨士大権現天満天神宮)の森の中に、「前田利家卿誕生之遺址」の碑が建っているだけです。後に加賀初代藩主となった利家を輩出した城でなければ、注目されることは無かったかもしれないひっそりとした現在です。
荒子観音からわずかの距離で、道路には『犬千代ルート』と案内標識が埋め込まれて、分かり易い案内でした。
秀吉は中村出身、利家は、その南の荒子の出身で、生誕地が近く、その後も生涯出生を競って信長に仕え、織田・豊臣の戦国時代のカギを握り、越前朝倉氏の後は、前田利家が平定し、加賀美術技能工芸を推奨した大名です。
    

    
荒子→近鉄八田→岩塚→中村公園→豊公橋→萱津橋西交差点右折→須ヶ口→県道126→甚目寺観音へと移動します。
幹線道路移動のため、再度、(歩行者に注意をしながら)歩道走行です。この段差が、疲れるのです。
名古屋市内移動は大変です!
↓甚目寺(じもくじ)観音

    

↓三重塔、六角堂、鐘楼

    

弘法大師御正当(祥当)命日] 旧暦 3月21日 (2005/4/29)
御正当命日とは弘法大師が高野山は奥の院に「済生利民 即身成仏」の大悲願をもって留身御入定になった特別な日で、接待で、お客さんに、ところてんを振舞われる様です。
(子供の頃、どこかで頂いたような記憶があります)
甚目寺からは、尾張サイクリングロードで、のんびり走行です。(名古屋市への木曽川上水導入管)敷設・建設が古いせいか、路盤も痛んでおり、(車の往来ができない為に安心ではありますが)走りにくいです。
次回は、織田・豊臣・戦国時代に引っ掛けて、琵琶湖東部の浅井長政・姉川の合戦地を走ってみたいです。