鈴鹿峠〜武平峠ツーリング報告書

おじサイクル企画

日   時 :2005/5/8(日)
天   気 :快晴 気温26°
集合場所:三重県 道の駅 菰野(こもの)
参 加 者 :私G、HI氏
【コース概要】道の駅『菰野』〜R306〜亀山市〜県道566(亀山城跡上野町線)〜県道565(亀山城跡線)〜R1〜小野橋〜関宿〜坂下宿〜沓掛(くつかけ)〜鈴鹿トンネル(鈴鹿峠)〜山中右折〜県道187〜黒川〜県道507(鮎河猪ノ鼻線)〜野洲川ダム〜R477(鈴鹿スカイライン)〜武平トンネル(武平峠)〜茶茶昼食(14:30)〜菰野駐車場
(走行距離:74km)

MAPと高低差図

4/24の(ポパイ協賛)鞍掛峠〜石榑峠を鈍足ながら完走したので、ここまできたのなら、という訳で鈴鹿山脈南下して、今度は、武平峠と鈴鹿峠走破に向けて(鈍足亀脚で)いざ、出発!道の駅・菰野に駐車して、R306を亀山市に向けて南下。
ここ水沢地区には、一面茶畑が広がります。
三重県は、静岡、鹿児島に次いで全国第三位のお茶の産地で、その中心的な産地は、北勢地域の山麓に広がる丘陵地帯で、四日市市鈴鹿市、亀山市で三重県全体の70%以上を生産され、主に、『伊勢茶』ブランドで出荷されています。R306沿いの水沢地区の、独特の製法から生まれる『かぶせ茶』は、摘み取る前に覆いをして遮光した中で栽培され、旨味とやわらか味、若々しい緑色を保たせ、上質で香味のある高級茶として、出荷されているようです。

    

↓摘み取り機械とはいえ、中腰姿勢移動は疲れるでしょね。

  


関宿は、慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めて以来、東海道五十三次第47番目、屈指の宿場として参勤交代の大名行列や伊勢詣りの旅人で大いに賑わい、 天保14年(1843)の記録には、屋敷632軒、本陣2軒と脇本陣2軒、旅籠42軒酒食店99軒があったと記されています。
↓関宿分岐で、左は国道1号線、右は旧東海道関宿への東追分です。
現在は、関宿まちなみ館として、東追分から、木崎(こざき)・中町・新所地区に分かれて、整備・保存されています。

    

関宿には、江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が200棟以上もあり、関宿の町並みにはかけがえのない景観となり、現在も居住者の協力を得て、電気・電話線の地中化など、町並み景観保存修復工事が行なわれているようです。

観光事業には、まだまだ時間がかかるのでしょうが、それなりに大変な事業のようです。

妻籠・馬篭のようには、なかなか、いかないようですが、でも、今後が楽しみな、人通りの少ない、落ち着いた宿場町です。

関宿・まちなみ館の全体図です



    

    

    

道路・路盤も整備されたばかりのようでした。
この地点での時間が10:30頃でしたので、昼食にはまだ早いと判断して、何も食せず、観光だけして通過してしまいましたが、後で、14:30まで何も食べる所が無かったので、残念極まりなく、このまま、鈴鹿峠と武平峠を、上らなくてはならなかったのです。
山菜おこわ、ざるそば(+ビール)、食べておけば良かったと!

    

  

沓掛(くつかけ)地区を過ぎ、坂下宿へと入ります。

ここには、東海道五十三次の標(モニュメント)があり、江戸・日本橋から始まって、京都・三条大橋までの53本です。なかには、『池鯉鮒』と書かれてありました(三河知立)。

    

いよいよ、鈴鹿峠です。旧東海道の峠道は、現在は東海自然歩道になっている為に、自転車部隊は、R1の歩道を、走ります(車道は自殺行為で走れません)

この頃が、時間的に一番日差しが強く、遮る小蔭も無く、とにかく暑いです。

  

  

鈴鹿峠から、県道187と507、R477で、武平峠へ向かいます。
『気分爽快』そうですかね?徐々に高度を稼ぐ為に、しんどいです。腹減った〜!

    


↓こんな派手な車を見かけました。


  

日本百名山・全山登頂達成の『山ねずみ』さんが、雨乞岳に登っておられたようです。
サンルーフを開けて走る車から、子供さんが『ガンバッテー!』声をかけられるのも、いいですね!
やっとの思いで、標高815M・武平峠到着です。空きっ腹では、快調だの、爽快だのとは、上れません。
何故ここまで来て、上るのでしょうか、いつもながら、不思議です。

      

     

やっと、昼食です。ポパイママお薦めの『茶茶』です。
先ずは、ビールでお疲れ様・乾杯!ク〜!五臓六腑に染み渡り、うまい!
とろろ御膳 いただきま〜す! 今日も、完走・完食!