関ヶ原〜湖北・余呉湖周回ツーリング報告書
おじサイクル企画

日   時:2005/5/15(日)   曇天一時少雨 気温18度

参 加 者 :私G、HI氏

駐車場所:関ヶ原町公民館 7:30

目 的 地 :湖北・余呉湖周回105km 織田信長と浅井長政の姉川の合戦地を散策しながらのツーリング

【コース概要】

関ヶ原公民館7:30〜R21〜旧中山道〜柏原口〜柏原中学校横〜長岡〜山東町役場〜県道248〜県道509〜大原小学校〜観音坂トンネル〜石田町(石田光成出生地)〜県道243〜姉川堤防道路〜今村橋〜県道276(小室大路線)〜浅井町役場〜R365田川交差点〜小谷寺〜R365〜県立小香高校〜賎ヶ岳〜余呉湖周回〜県道44(木之本長浜線)〜片山隧道〜県道331(湖北長浜線)〜姉川大橋〜湖岸平方左折〜徳勝寺〜地福交差点右折〜県道566(長浜近江線)〜宇賀野〜近江町役場〜R21樋口西〜旧中山道・醒ヶ井宿〜柏原宿〜関ヶ原(走行距離:105km)

MAP
↓旧中山道・西今須を過ぎた辺りの県境地区で、美濃國と近江國の境です。

    

坂田郡山東町から長浜市へ抜ける県道509の観音坂トンネルを過ぎると、長浜市石田町になり、この看板が目に留まり、『なるほど』と言わざるを得ません。
石田三成は、坂田郡石田村(現在の長浜市石田町)に生まれ、山東町にある観音寺で修行していた時、豊臣秀吉に出会ったといわれています。

    

↓姉川近くで、珍しい光景が目に留まり、養蜂作業を遠くから見させてもらい、後で話を聞かせていただきました。
苺栽培農家の方で、交配の為に蜂を飼っておられて、休耕田利用でれんげの蜜を採取だそうです。
こんな間近で、養蜂作業を見るのは初めてです。
れんげの種子は安い中国産で、昔の、日本産の種子とは違い、花が小さく、色づきも悪いそうです。
(そういえば、昔、子供の頃のれんげの色とは、あせている様で、違っているような気がします)

    

↓画像上部は、ミツバチが自ら蓋をして、白くなっているとのことです。自然は不思議です。
集めた蜜を人間が取ってしまうので、冬場は、砂糖水を与えて、栄養を取らしているとのことです。
この木枠一つから、900ccの蜜が取れますが、はたらき蜂の命は短く60日だそうです。

    

何気ない出会いで、サイクルツーリングから小旅行の雰囲気です

  

整備されたサイクルロードを走り、R365の須賀谷温泉入口(安っぽい看板)を過ぎ、小谷寺へ向かいます。
ここは、3代にわたる浅井家の祈願所でしたが、浅井家の滅亡とともに焼失し、現在の小谷寺は豊臣秀吉の再建で、かつての寺地から南方400mの所にあるようです。
山門脇の大きな松の切株は、お市の方が長政と死別した後、柴田勝家(しばたかついえ)に嫁ぐ直前に自ら植えたものと言われています。(その柴田勝家とお市の方は、豊臣秀吉によって、滅ぼされました)

    

    

小降りの雨も上がり、いよいよ余呉湖です。
一周7kmの静かな湖で、JRウォーキングが開催されていて、大勢の(中高年)方々が散策されていました。
琵琶湖周辺は、自転車道も整備されていて、とても走りやすい印象です。
岐阜の峠道とは、一味違いますね。

      

余呉湖から琵琶湖岸へ抜けると、輪・歩の皆さん、一人の方も仲間同士での方も、
それぞれの趣味で頑張ってみえます。
たまたま私どもに声をかけていただいたのは、若い二十歳そこそこの二人で、初めて琵琶湖一周挑戦だということでした。
私どもが先に休憩を終え走り出しましたので、後方の若い方に抜かされては面子が立たないと、
年甲斐も無く、(闘争心で)気負って走りました。
(私どもも、重力の影響が少ない平地なら人並みに走れます)
豊公園(ほうこうえん)長浜城長浜ドーム画像

    

↓今日のテーマの浅井長政の菩提寺、徳勝寺です。

織田信長の妹『お市』を嫁にもらいながら、その信長に攻め滅ぼされるとは、不運な結末の人生ではありました。

墓石の背はマンションで、銘鈑もステンレス製で、遠い過去の戦国武将も(墓の中での)都会暮らしは、味気ないようです。

    

  

↓画像 帰路も、交通量の多いR21を避けて旧中山道・醒ヶ井宿を走ります。
旧街道ブームなのでしょうか?どの宿場も整備されて、落ち着いた味わいのある街並みに観光地化されています。
流れる川水も、伊吹山の伏流水でしょうか、きれいな水で、梅花藻(ばいかも)が水中群生していました。

    

峠上りの達成感も良いですが、たまには平地をぶらり散策ツーリングも良いな!と感じ、
今日のテーマ『浅井長政』探訪の北東近江路105kmツーリングを終えます。