五僧峠周回MTB-RIDE

おじサイクル企画
おじサイクル
日 時 111002(日)
天 気 終日寒い
参加者 私G、AGさん、furuさん、サニ太さん
目的地 五僧峠〜廃村集落周回ride 【コース】

今企画奥美濃CCさんからfuruさん、サニ太さんが参加していただき、furuさんは歴史好きから、今コース興味深々で1600年関ヶ原の戦いの西軍方の島津藩主義弘の逃亡ルート(背進経路)(伊勢街道)再現rideで、ポイント、ポイントで私どもに丁寧に解説していただけました。
私ですか、私は単に五僧峠と廃村集落跡地を行ってみたかった、という二人の別々の想いが一致した今ルートでした。

【↓furuさんの希望ルート】
【背進概要】
上石津町に伝わる史料によると、敵中を突破した島津義弘軍は牧田路から西伊勢街道へと背進しました。
この時、岐阜城主織田秀信(信長の孫)の旗本として、西軍に参加していた近江国川瀬の小林新六郎が、岐阜城の落城により敗れて退去、多良を通って帰国の途中でした。はからずも、敵の追撃を遁れて背進中の島津軍に出逢い、太守公(義弘)から山路の案内を仰せつけられました。これにより新六郎は、江州の保月を越えて高宮川原まで無事に道案内しました。

琳光寺
(ここ)お参りしていたら、近所のお母さんが我々を『鹿児島からみえたの?』と尋ねられ、『いえいえ、近郊の者です』と答えましたが、いまだに歴史は生きているのですね。

烏頭坂(うとうさか)・島津豊久奮戦の地 淋光寺にて 琳光寺にて

背進経路を着実に進みます。
我々も勝地峠
(ここ)へと進みます。
【勝地
(かちぢ)峠】
伊勢街道の中でももっとも難所ながら,現在では国道365号は峠区間を上石津第一トンネル(L=1194m),第二トンネル,第三トンネル(L=1180m)で貫いているため,峠道でもなく峠の面影さえ感じさせなくなっている。
その後、島津軍は上石津下山から進路を西にとり江州街道で時山-五僧-保月-多賀-高宮のルートで,これは現在の岐阜県道139号(上石津多賀線)のルートに近い。落ち武者狩りを避けながらようやくにして大阪まで落ち延びたが,関が原で300名ほどで編成した島津隊も最後には数十騎まで激減していたという。
鈴鹿山脈の中では北限であるこの峠は「島津越」と呼ばれている。
今日のAGさんは先週と全く違い快調に走り、上り勾配になるとビュンビュン行っちゃいます。先週のヘロヘロはいったい何なの?
他3名は、彼に引っ張られ、それなりに
(目一杯状態で)上ります。

輪行関ヶ原駅下車で参加のfuruさん 揖斐郡池田町から参加のサニ太さん(左) 五僧峠へと進みます。

R365号線から上石津・時地区へと進みます。
10時、
(この先五僧峠へと進むので)ここで補給time。この先、コンビニ、自販機無さそうですから、時地区の八百屋さんでパン・水を購入します。この時支払った金額400円ですが、この先、ホントに何も無く、山、山だけで、パン等買っておいて正解でした。
AGさんも『ホント何も無いですね、甘く見ていました』と後からボソリ! 寒くて、土地勘無く、食うもの無かったら、遭難してますね…という所をこの先走るんですよ。

整備したての道路なのに崩落してました。 乗り越えて先へと進みます。 年内の復旧工事は無いな!

五僧峠手前で崩落3ヶ所、平成19年度森林整備事業とか、平成22年5月岐阜県側開通とか、まだ真新しい道路なんですが、二冬を越さずしてもう崩落。年度内復旧は無理でしょうから、このまま、春まで工事もち越しでしょうね。 でもね、@いくらきちんと整備しても、滋賀県側荒れ放題ですから、サラリと通れませんよね。 A滋賀県側の荒れ放題の道路?は、崩落無かったのは、どう解釈したら良いのですか?
教えてください、関係お役所さん!

ここもです。道路下が落ちていました。 コンクリート壁も無残な姿に。 平成19年度 森林環境整備事業 時山〜多賀林道

3か所目の崩落場所です。 ここも越えます。 平成21年度5月21日 開通記念碑

五僧峠到着(ここ)です。
慶長5年1600年、関ヶ原の戦いの敗れた島津義弘一行は『小林新太郎』の案内でひそかにここを通り、『高宮』の河原で一泊し、甲賀を経て船で薩摩に帰った。この峠を『島津越え』ともいうのだそうです。

furuさんの今回参加の真の目的はこの『小林新太郎』の探求です。
≪甲賀武士である小林新六郎は、岐阜城主織田秀信(信長の孫)に仕えており、多賀大社の西にある中山道高宮宿に小林新六郎邸があると聞きましたので、探してみます≫との参加前コメント。

 11:26 五僧峠到着です。やっと来られました。ここまで島津藩は背進してきたんですね。

↓ここからは歴史散策は一先ず置いて、行く先を心配しながら走ります。
全く土地勘が無いのですから、しかも方角も。二股に分かれている場所も多々あり、廃村・廃道・林道どっちへ行くの?と手探り走行です。

五僧峠すぐ下の廃屋 右か左か、地図見て判断です。furuさんの判断で左へと進みます。 アサハギ谷林道へと進みますが、路面は最悪です。

AGさんは鹿を見た、というように、人も車も誰も居ません。
居たのは鹿駆除のハンターだけです。
廃屋・廃道、MTBで走るには持ってこいの場所です。
≪滋賀県側はジャリジャリ道でロードでは走れません≫

廃屋に廃道、なかなか良いですね。 廃寺で鐘突き放題です。 杉坂峠

13時furuさんとはここでお別れです。彼はこの先、歴史探究のサイクリングして輪行帰宅とのことで途中離脱です。お疲れ様でした。

さて、残った3名は島津藩歴史道から切離れ、
(furuさんとは反対方向へと)この先山越え谷越えの連続が待ち構えているとは全く知らずで、厳しい峠越えで先を進めます。
県道17号線河内風穴
(ここ)方面へと進みます。
河内風穴駐車場の奥さんに『この先』を尋ね、『男鬼
(おおり)という集落跡があるから…』と言われ進めますが、ホントに?と疑いたくなるような道?を進むことになりました。
(男鬼をオオリとは読めませんから何度も聞き返しましたよ)(場所はここ)

サニ太さんは、かなり興奮しており『良いは、こういう所良いは』 『テンション上がるは』の連発です。
(私もでした)

13:08 furuさんとここでお別れです。お疲れ様でした。 河内風穴の更に奥、だんだん道が無くなります。 この奥、直進は道が無いのです。左折したくないけど左折しかないのです。

こりゃ、獣道ですよ。 案内立て看板ありました 獣の声しか聞こえません。

14:08 迷いながら、確かに在りました。≪男鬼(おおり)跡が。
彦根市から草刈りとか過去の家を守とかで来ておられた
(70歳代)年配女性に尋ねると『私より先代の人が住んでいた…』と言われ、廃屋化して長い年月が経っているようです。

男鬼(おおり)地区 誰も住んでいません。 かつての集落跡です。 案内看板に従って進みますが、無かった、全く分からないでしょうね。

廃屋集落を終え、(持参地図に従って)いよいよ米原へと山越えです。
AGさんはいたって元気ですが、50歳過ぎおじさんの私、サニ太さんの太ももはそろそろ異常信号出始め、後5kmなんて励まし合いながら越えます。
しかし
3名のテンションは下がっていないのが不思議ですね。むしろ興奮気味です。

↓14:57 やっと最後のTOPのようです。ここまで上ったという達成感で感無量です。
AGさん、サニ太さんお付き合いありがとう。
この道は一人では、不安で、不安で絶対に走れませんよ。

高い所まで上ってきたでしょ! もうこの先は下りですよ。

15:30、無事に醒ヶ井へと出ます。
たどり着けば行程通りで終えられ、安堵と興奮で、達成感充実です。 
お疲れ様でした。
関ヶ原まで残り15km程でしょうから、ゆっくり帰りましょう!ということで、旧街道を話しながら進みます。でも本音は、かなり疲れましたね!
16:30 無事関ヶ原町役場へと戻れ、皆さん、お疲れ様でした。
歴史絡みで有意義なコースと化し、廃村・廃道で私的には辛い中にもテンション上がる走り応えのある道でした。
来年も
弁当過積載で同ルート走りたいです。その際はヨロシクです。
ありがとうございました。
MTBで山岳道83kmは正直疲れました。 
帰宅後、撃沈爆睡言うまでもありません。

【furuさんコメント】
83キロお疲れ様でした。私は、54キロでしたので、30キロ楽をさせてもらいました。
高宮宿で
(ジョナさん指摘の)揚羽蝶の家紋のついた小林邸も見つけることが出来ました。

米原15:33発くらいの電車でしたので、皆さんが、最初に見かけた大垣行き電車に乗っていたことになるかと思います。
14:30頃、多賀大社、高宮宿を経てJR南彦根駅にたどり着きました。南彦根にはコンビニの様な気の利いたものはなく、平和堂本社のある巨大モールで車中の飲み物とつまみを仕入れました。
そういえば、一宮のタマコシ、大垣のヤナゲンも、平和堂に替わっていますね。
近江商人 恐るべしです。

ジョナさん指摘の揚羽蝶家紋

【サニ太さんコメント】
お疲れ様でした
JR沿いを走行中、皆で古川さんはあれに乗っている、これに乗っている。
と話をしながら最後の力を振り絞っておりました。
蝶の家紋、いいですね。
イメージは良くある羽を開いた状態の標本を思っていましたがこちらの型のほうが良いですね。
お互い無事で何よりでした、またご一緒してください。
今回のツーリングは沢山のことを教わりました。
ー地図の等高線が読見込めないととんでもない坂ばかりの目にあう。
ー食料と水分不足は体が持たない。
ー中途半端な衣装では疲れが取れない、溜まる。
どれかを怠ると帰ってこれなくなる(遭難する)現実。
恐ろしくも有り、スリル有り、神一重の緊張感。
また、参加表明いたしますのでそのときは宜しくお願いいたします。
参加の皆様どうもありがとうございました。


【こまさんコメント】
今年は台風の直後ということで、林道が崩落して大変だったようですね。
2年前に奥美濃CCのツーリングで男鬼の辺りに出かけた時は、小径車のBD-1で完走した人もいて、楽しいポタリングという感じだったのですが。
五僧峠は去年、ロードレーサーで通りましたが、岐阜県側は舗装が良くて快適だった記憶があります。それが、たった1年でMTBの担ぎで山越えをする羽目になるとは...こういった過酷な環境だからこそ、この辺りは限界集落化していくんですね。
木地師発祥の地も近くにあって、歴史的にも興味津々なエリアですので、機会があったら、また訪れてみたいと思います。


【ジョナさんコメント】
山奥の、オバケが出てきそうな廃村・・・
その名も 「男鬼町」 ・・・ (鬼首 オニコベ 村を思い出す〜!)
行ってみたいような、そうでないような・・・。
島津氏の敵中正面突破は勇敢です!
その退却路がここですか。
それを偲んでのツーリング、いいですね!

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