西風に乗って豊橋まで101km

おじサイクル企画
おじサイクル
日 時 190616(日)
天 気 雨上がり、西風強し
参加者 私G、おさむさん
目的地 自宅から、桶狭間、沓掛城址経て豊橋駅まで101km
【実走ルート】
今日は、本来下呂市在住のジョナさんの企画で【乗鞍Hill climb】を行う予定でしたが、前日土曜日大雨・嵐の影響で、翌日曜日岐阜県下は雨予報ということで、乗鞍rideは中止。
天気は回復しても西風強しの予報では、『東へ向かうしかない』と判断して、おさむ氏と二人で、豊橋へと東海道rideに変更。

06:15拙宅近くから合流出発し、旧22号線を名古屋方面へと、追い風に乗って快調に走り出し、久々のロードでしたが、追い風に幸せ感じ、あっという間に清須市通過、名古屋市内も突っ切り、名和北交差点から南へ進路を変え、東海道に乗っかり、ありまつ鳴海宿へと進め、08:33桶狭間合戦場趾公園へと寄り道。
ここで今川義元陣地の『沓掛
(くつかけ)城址公園』が近いと分かり、じゃあ、行ってみるか、ということになり、進路は北向きに変更。

  

09:10沓掛城址公園到着
桶狭間の戦い前夜に今川義元が入城した城の城址。
義元はこの城から大高城への途上で打ち取られました。

桶狭間合戦場から沓掛城址までは、5km程距離あり、今川義元は味方の沓掛城を拠点として、織田勢攻略へと兵を進めたようですが、その5kmは自転車でも遠く、丘陵地の5kmは人馬にも大きく影響したことでしょう。

沓掛城は「桶狭間の戦い」の前夜に今川義元が宿泊した城として知られています。「桶狭間の戦い」後には織田信長より勲功一番と称された簗田政綱の居城となりました。現在は沓掛城址公園として整備されており、本丸、空堀、諏訪曲輪などの遺構がきれいな状態で残っています。東西288m、南北234mと当時としては、比較的規模の大きな城で、総堀に囲まれる形式だったといわれています。

 

進路を1号線へと戻り、岡崎城→11:32藤川宿へと入ります。
町並みを見ながら走り、yukiちゃん同級生の粟生人形店前を通過します。

  

12:04本宿へと入ります。

 

12:15本宿・法蔵寺へ立ち寄ります。
家康が幼少のころ、手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられる寺で、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康幼少期の品のほか、境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮・家康ゆかりの草紙かけ松・おてならい井戸・お手植えの桜などの文化財も多く現存しています。
桶狭間の合戦後、家康はこの寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しました。

  

山腹には新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚もあります。
新撰組局長の近藤勇は、明治元年東京板橋で斬首されました。
京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託した後、住職が転任した法蔵寺に運ばれました。
当初は、石碑を土で覆い、ひっそりと弔ったといわれています。

  

豊川市赤坂宿へと入ります。
旧旅籠鯉屋の『大橋屋』さん見学です。
(画像はネットから借用)

旧大橋屋さんが店をたたまれ、豊川市が3億円近くを出して、南へ1M、西へ0.7M、引き屋で移動され、現在の建築基準法に合わせて改修されて、2019年4月からは豊川市指定文化財として観光保存・開放されました。
ボランティアさんの説明を受けます。

  

岡崎市内コンビニで冷やしきしめん食べただけで、これといったもの食べずに飲まずに、観光rideして、追い風に助けられ、苦無く15時豊橋駅到着です。
ここからは名鉄特急・座席指定で70分で帰ります。
久々の100km、列車に乗り込む前に、車内での飲食の補給食購入。
これが美味いの何のって!
言うに及ばずです。

  

おさむさん、付き合ってくれてありがとう。
またの機会、ヨロシクです。
お疲れ様でした。
名鉄座席指定特急、良かったでしょ!

旧東海道地図

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