長篠城観光ride

おじサイクル企画
おじサイクル
日 時 210801(日)
天 気 盛夏
参加者 私G、治虫さん
目的地 長篠城観光
猛暑の中、ロングライドを回避して、涼しい電車を利用して、普段行けない遠い所へ行こうという趣旨で、(治虫氏との)かねてからの懸案事項の、『長篠城駅探訪』決行です。
今回は、一宮〜豊橋間は往復名鉄利用です。
JR飯田線豊橋発→長篠城へは、08:11発ですので、名鉄一宮発は、06:46発に乗車です。
途中、金山駅乗換で、07:58豊橋着。
飯田線天竜峡行きには、秘境を楽しまれる
(マニアックな)方々、鉄道愛好家と称される方々が多数乗車されており、なかなか面白い電車旅の始まりでした。
長篠城へは、この08:11発を逃すと1時間待ちとなりますから、どうしてもこの列車乗車が必須条件です。

  

09:20長篠城駅到着です。
織田軍+徳川軍VS武田勝頼軍の戦跡散策の始まりです。

  

旅の始まりは、長篠城址史跡保存館からです。
長篠の戦いは、戦国時代の天正3年、三河国長篠城をめぐって、織田信長軍30,000人+徳川家康軍8,000人⇔武田勝頼軍15,000人との合戦。

  

涼しい資料館内で、小学校高学年と低学年の兄弟とお父さんの三人さんが居られ、お父さんが熱く歴史を語ってみえました。
高学年のお兄ちゃんの手には、日本百城なる本を携えて。
私共は、資料館の説明書を読むより、その親子さんの会話が気になり、聞き耳立てていました。
鷹は鷹なんだと、感心してしまいました。

 

医王寺へと移動します。
地元の方々が、この暑い中、草刈りをされていました。
その中のボス的なお一人が、私らに話しかけられ、
『どこから見えたのですか』
『この先を上っていくと、武田軍本陣跡・見張り台があります』とか、長篠の歴史を熱く語られ、ついつい引き込まれて、長々と話し込んでしまいました。

見張り台へと上っていくと、先客さんが居られ、それが、先の資料館での親子さんでした。
その親子さん、大垣市から(車で)来られて、関ヶ原資料館は2回も行ったとか、大谷吉継の墓へも行ったとか、なかなかマニアックな事を話され、私らも、ついつい話しに乗ってしまいました。
熱心な親子さんに、感服です。

  

↓治虫氏が興味を持った出来事です。
タマムシなんて珍しい!との話し。

 

設楽原歴史資料館へと移動します。
ここは、館内撮影OK
(フラッシュ撮影禁止)との表示です。
この時代の戦は、鉄砲の数で決まったようです。
種子島に伝わり、堺、尼崎の鉄砲職人での生産、商人によっての売買で各地に広まり、特に信長がいち早く導入して、この世を制したようです。
資料館には、大きさ、長さ、重さが異なる様々な鉄砲が展示されていました。
これには圧巻です。

  

  

天正3年5月13日、岐阜を出発した信長軍は、設楽原へ5月18日に到着して、『馬防柵』を延々2qに渡って設置したと記されています。
岐阜市から現在の新城市まで、6日間で移動、尚且つ、馬防柵設置、空濠
(からぼり)、土塁を築くという段取りの良さ、手際良さに、あらためて驚きを隠せません。
どう考えても、柵木と締め縄を用意して岐阜から持ち込んだとしか思えません!
信長の用意周到さにこれまた驚きです。

13:02社会見学を終え、そろそろ豊橋へ向けて、30数km走り始めましょう、と移動開始します。

 

走り始めて50分ほど経過したら、天気がどうも変わりつつあり、遠くに雷鳴も。
危険回避で、地図を確認すれば、飯田線野田城駅が近くにあり、駅へと方向転換です。

駅の南側に、『ゴジラ発見』。
下がりかけたtensionが、一気にupです。
タイヤのゴジラ!
笑えるくらい精巧に出来ています。
ヨコハマタイヤ・新城工場のモニュメントでした。

  

野田城駅到着13:52、駅の時刻表には、豊橋行き14:16発とあり、急いで輪行準備です。
JR飯田線豊橋駅で名鉄本線へと乗換え、定番のヤマサのちくわを買って乗り込み、15:15発の岐阜行き特急座席指定で一日を終えます。

 

 

名鉄一宮16:24着で終了です。
治虫さん、お疲れ様でした。
移動距離はたった22kmでしたが、濃い一日で、何故か、疲れはいつも以上でした。

 

 

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